スタンフォード式最高の睡眠

 

まずは、眠りについて基礎的なことから。

睡眠には、個人差があるということだ。これは当然と思いがちだが、しっかりと分かっておく必要がある。

  1. 睡眠のサイクル
  2. 必要な睡眠時間

この二つがある。

 

人の睡眠サイクルは90分であり、90の倍数で睡眠をとるべきとよく書かれるがこれは間違いで実際は90~110分と個人差がある。ので、そこまで気にする必要はない。

サイクルとはレム睡眠とノンレム睡眠が交互に訪れることである。レムとは、rapid eye movementの略であったりする

 

そして睡眠時間もまたそれぞれに違いがある。これは、遺伝に関係していると言われており、最もわかりやすい例がショートスリーパーである。しかし、ショートスリーパーは寿命が短いという話もある

 

個人差が激しく一括の処方箋が出せないと、そういうわけではなく。

あらゆる人に共通するのが寝始めの90分。である

曰く、寝始めの90分が眠りの質を左右するらしい。らしいというのも理論はわからないが実際に研究で観測されたことに基づいている。

最初の90分は、もっとも深いレム睡眠になりかつ成長ホルモンがもっともでて、さらに眠気(睡眠圧)がかなり開放されるという最も大切な時間である。

そのうえ、この最初の90分がうまくいかないとその後の睡眠が実験だと計測不可になるほど乱れる。

まさしく、この90分が最重要ポイントなのである。

夢をおおく見れたときは睡眠がうまくいっている。というのも最初の90分がばっちりであるので睡眠のサイクルができているということだからである。

 

さて、睡眠のメリットについてまとめたい。

1、睡眠時には脳が休まるということ。

睡眠時、とくにノンレム睡眠では日中に優位になっている交感神経でなく副交感神経が優位になる。副交感神経が優位になるとリラックスでき、脳を休められる。睡眠時にかぎらず、副交感神経を優位にしてリラックスする時間をとるのは大切である

2、記憶が定着されること

3、ホルモンバランスの調整

成長ホルモンがでるだけでなく、睡眠が不足するとレプチンという食欲抑制のホルモンが減り、食欲促進のグレリンがでるということも分かっていて睡眠とホルモンは関係が深い。

4、免疫力を上げる

5.脳の老廃物を流す

脳せき髄液のメンテナンスがされるらしい。これが行われないとアルツハイマーなどのリスクが発生する。

 

続いてこの本の実践的な点に移る。この本のポイントは二つ。

深部体温と皮膚温度の差が縮まると眠れる。

脳を使わないようにする

ということである。

 

深部体温と皮膚温度の差が縮まると眠れるはとても大切でなぜかというと、そういうメカニズムでひとは寝るようになっているからだ。

覚醒中は、温度を上げて体の活動を促し、睡眠中は、温度をさげて体を休ませる。

これが、動物的な人間の睡眠の原理である。ここでの温度は深部体温を指している。

というのも、どうやって深部体温を下げるかというと、深部体温を下げるのとは逆に皮膚温度を上げることで熱を放出しやすくするという方法をとるからだ。

この働きを助長すれば眠りのパフォーマンスはもっと上がる。

この助長の方法として最有力なものが、風呂である。

40度のお湯に15分ほどはいると、深部温度が0.5度上がる。深部体温は上がった分急激にとするた体温を下げようとするため差が縮まり快眠につながる。

0,5度の深部体温が下がるまで90分ほど時間を要するので、眠る90分前に入浴するのがよい。

逆に、すぐ眠りたいなら眠る直前に入浴すると、深部体温がなかなか下がらず眠りにつけないのでなるべくシャワーで済ますか、血流を良くして熱放出を促進させるという手もある。血流をよくするには、足湯やストレッチが効果的。熱を放出するために靴下ははかないほうがよく眠れる。手足が最も熱が放出されやすい。

脳を使わないようにするとは、脳の覚醒度合いが強いと体温が下がりにくく眠れないことを避けるためである。脳に刺激をあたえないことが快眠につながる。

退屈に感じることをしたりもっといえばなにもかんがえないのが一番いい。

そしてとくに大切なのが同じ時間に寝るということだ。くわしくは解明されていないがフォビドンゾーン(睡眠禁止ゾーン)があり、これはいつも寝る時間の二時間前を指し、もっとも眠りにくいという時間帯になる。

このことから、最初の90分を快適なものにするために、仮に明日朝が早くともいつもより早く寝ることはかえってよくないということが分かる。睡眠時間は後ろにはずらせるが前にはずらしにくい。

加えて重要視したいのが、覚醒時の行動である。私たちは、夜になると自然と体温が下がり睡眠の準備を始める。

これはなぜかというと、サーカディアンリズムのおかげである。これは端的にいえば体内時計で、覚醒時にこれが乱れないようにすることが重要である。具体的には、光を浴びてメラトニンを生成するということ。そして、体温を朝からしっかりと上げていくこと。この二つが主にサーカディアンリズムにとって大切になる。

 

睡眠に勝つ方法としては、パワーナップとカフェインをとるといったものがよさそうだ。

パワーナップは、仮眠ともいわれる。これは、長すぎると体に良くない点に注意が必要である。一時間以上仮眠をしてしまうと認知症のリスクが二倍に跳ね上がる。また、睡眠圧が上がらない可能性もある。

 

カフェインをとるというのもよい方法である。

カフェインはひとを眠らせる物質であるアデノシンの働きを直接抑制するからである。アデノシンというのは、atp(アデノシン三リン酸)というエネルギーの通貨とも呼ばれる物質が分解されたときに放出されます。そして睡眠中枢を活性化し、睡眠圧を上げます。つまり、活動した分だけエネルギーを消費した分だけアデノシンが増えるのです。なんとなく筋が通っている気がしますね。

そして、カフェインはこのアデノシンと構造が似ておりアデノシンが睡眠中枢を活性化するまえに結合するために眠気が収まる。という原理なわけです。

 

プロローグ

結局、実践できそうなのは、入浴して体温を上げることと睡眠時間の固定と脳を刺激しないようにするぐらいですかね。あと、靴下はかない。

睡眠の原理はかなり面白かった。とくにアデノシンの話がよかった。

 

 

 

 

全部バージョン

まずはじめに思うのが自分はなぜ生きているのか。ってことだ、人生に目的があるのかということだが、これについては目的なんか存在しない。人間一人ひとりに使命なんていう大したものがあるわけがないし、少し考えればわかることだ。

 

じゃあ、生きてる意味がないなら死んでもいいのかって話になる、いつ死んでも結局一緒でしょうってふうに。これは正しいように思えてしまう。実際どうだろうか。

 

とはいえ、多くの人は死なない

なんでかっていうと、動物的な本能がそれを阻止するから

人間っていうのは忘れがちだけど動物であって、その本能は野生のものを持つ

人ってものを考えるときに動物的な観点はかなり有効であるとおもっているし

以降の根拠はほとんどこれに頼っている。

 

ここで大切なのが、人間のは究極的に動物の本能に支配されてるってとこだ

そのどうぶつの本能の根幹を占めるのが、子孫を残したいってとこだとおもう

 

ちょっと話はずれる。これほんとに大前提なんだけど。なぜ動物はすべからく子孫をのこしたい。というよりかは生存競争に勝ちたいと願うのかってことの理由のことだけど

これだけは、ほんんとうにわからないし、これからもわかることはないとおもうってことだ。

だってそうでしょ、動物にしてみれば本能だからとしか言いようがないし

今後にあつかう話も、結局本能だからって一点で説明できちゃうことがおおい

生存競争に勝ってなんのいみがあんのか、そもそも動物がなぜ生まれたのか。さっぱりわからない。これは追及できない。

これを大前提として、すすみたい。このせいで難しい哲学でなく現実をただ見ること

しかここに書いてないと言えてしまうかもしれない。ほんとの前提が解き明かされてないからね

 

大前提がおけたところで、話を戻す

生存競争に勝つのが、動物の目的。これは種としての目的といえる

生存競争には、さまざまな戦略がある、子供を山ほど生んだり、出産のあとに自身が食べられることで子に栄養を与えたり、胎内で育てるか、卵かみたいな

人間は、シンプルに子供を産むってのだね

これが大々的には、動物的な目的になる。もっと言えば女とやるってことになる

人間の本来の性質でみたらオスってのは、多くの女性とやったもん勝ちで

逆に女性は、負担が大きいので優秀な生存競争に有利なオスを見つけて子供を産んだもの勝ち

ってことになるんだけど、現代ではこういう考えはでてこないよね。なんでだろう

 

ここでこの本質的な脳のメカニズムについて少し科学的にいきたいとおもう。

でもその前に文学的なところから

まず言いたいのが、人間を人間たらしめるものってなにかって話

いやもちろん人間の時点で人間だし動物であるからただ他の動物との違いになるとおもうんだけど

理性がある。(強い)ってことがいえるとおもう

 

じゃあ理性ってなに?ってなるとこれは

大脳新皮質が理性!となる

どういうことかっていうと

まずは理性と本能って違う脳の領域をつかってるってこと

んでもって本能は脳幹ってのと大脳辺縁系がつかさどってる

そして配置としては、本能が内側でその外側に理性があるって様子なわけ

で、人って本能に対抗できちゃうんよね、

眠いのをどこまで我慢できますか?とか、ご飯我慢できますか?とかさ

犬に待て!!と言ってよし!!で食べさせたりするけどあれと基本は一緒で

他の動物よりも、本能をおさえるつまり理性が強いってこと

 

これって一見いいことなんだけど、人間って頭が発達しすぎたがゆえに不幸になってるんだよね

理性をてにいれることで、人間は自由をてにしたんよ。本能からの自由を

けどこれって、動物であったら本能にしたがってれば幸せになれたんだけど

頭がよくなったがゆえに、現代ならさらに本能が簡単に満たせるようになったがために

もう本能に身を任せるだけじゃ幸せにはなれなくなってしまったんだ

 

これで話がつながったんだけど

本能にしたがってれば幸せになれたってなに?ってこれが、さっきいってた

なにも考えずにおとこはたくさんおんなは少しとやるって話

あとは、飯食えたらしあわせだったり、気持ちよく眠ったりとか

これを動物的になんも考えずにできたらってことね

 

本能にしたがうだけじゃ幸せになれないってなに?ってこれは

頭がよくなりすぎたんだよね、文明をつくってさまざまなことをかんがえることができるようになったから

 

ここで幸せについて考える必要があるね、簡単に言うと

しあわせとは脳内麻薬ってこと

人間ってすごく機械的で本質的には、麻薬も食事もゲームもだいたいおなじなんだよね

 

脳内麻薬なんだけど

勉強不足で詳しくは書けないけども

一応例としてはドーパミンセロトニンってのがある。こいつらは幸せホルモンなんてよばれていて

これらがでると幸せになれる。他にもたくさん種類があるとおもうけど

 

じゃあいつこの幸せホルモンでるん?ってなるんだけど

そもそもこのシステムってのは動物的な目的である子孫を残すを第一として、そのためにまず生きるっていうことを可能にするためにある

つまり、種としての生存に有利なとき幸せになれる。って言える

 

これはどういうことかっていうと

本能に近しいところからいえば、飯をたべたとき、やってるときとかになる

で、大事なのが達成感を得たときもそうってことだ

理由は、生存に有利になるから

これによって人は様々なことに対して努力できる

ここには結構な救いがあるとおもう

 

とりあえずは幸せ=脳内麻薬で、それは生存に有利な時に出るということでした

 

じゃあ生存に有利な時って何だろうかってなるけども

 

達成感を感じられればどんなものでも、幸せを感じられると言える

それは、時代とともに生存に有利なものは変わっていくのが理由だ

 

でも得られる幸せの程度って人によって違ったりする

 

例えば趣味って人それぞれだったりする。本を読むと楽しいってひともいれば、楽しくないって人もいる。

電車に乗るのが楽しくて仕方ないって人や、電車の写真を撮るのが楽しいって人もいる。

もっと言えば、急に100万円ポンってもらえたら俺らはめちゃくちゃうれしいよね。

でも、おかしくない?お金ってよくよく考えたらただの紙だし、仮に自分がお金を知らなかったらもらってもうれしくない。

 

この差を生んでいるのが、観念というもの

観念は簡単に言えばものの見方ってこと、価値観ともいえるかな

これが私たちの幸せをある程度定義して左右してる。

同じ状況でも、観念の違いによっては心地よく感じるか嫌な思いするかが違う。

観念をつくる要因はたくさんある。それは、他者からの影響が強い。他者の集合ともとれる社会も含まれる。常識というものもその一つだろう。

加えて、遺伝も要因の一つにある。生来の頭の良さや性格の違いがある

 

観念というものは、潜在意識と強いかかわりがある。潜在意識は、無意識ともいえて

行動の細部に表れ、人の行動や言動がその人らしくなるというのも潜在意識の影響である。

潜在意識は、自分の行動と思考を変えていくことで徐々に変わっていく。潜在意識は、変化でなく安定を求める性質があるため、変化には一か月ぐらい時間がかかる。

 

冒頭で、人間が生きることに意義はないと書いて、確かにその通りではあるけども

目的はある。それは動物としての目的「種の保存」そして、人間としての目的「幸せの追求」である。

 

だが人間は頭がよくなりすぎたがために、本能に従っていれば幸せになれるわけではなくなった。他の幸せを得る方法を無限に生み出せるようになったからだ。そのうえ、身の危険がほぼなくなったこともある。結果、潜在意識も書き変わって、衣食住だけでは幸せと感じられないことも増えた。

 

だから人間には人間的な目的が必要になってくる。それがあらゆる意味での幸せの追求である。そして、幸せの追求とはそれぞれの観念の中で幸せだと思うこと(観念次第であらゆるものに幸せの可能性がある)をしていくということだ。幸せを追い求めることこそが人生の目的だ。

人生楽しんだもの勝ちっていうのは正解だったりする。

大事なのは幸せは、相対的なものでなく絶対的なものであるということ。これは、自分の幸せと他人の幸せの違いは絶対にわからないということ。

この一点は、現実の不平等に対抗しうるところに思える。

 

現実では不平等が確かに存在する。それで不快な思いをすることもある。

しかし、幸せは相対的なものではないので優れたものがより幸せかどうかというのは

わからないし、自分には全く関係のないことである。なにが幸せかは観念が決める。

東京で買う水と、砂漠の真ん中で買う水では幸福度が全然違う。

豊かな環境と厳しい環境でも、幸せは絶対的なものであるからどちらがよりよいともいえない。

自分で作りあげた本棚と買ってきたよりきれいな本棚

自分が努力して作り上げたものと、そうでないより優れたもののどちらがより良いのかは、これもまたわからない。

他人が恵まれていようと、そうでなかろうと、なんであろうと幸せが絶対的なものである限りその一点の平等性を信じて幸せを追うべきである。

 

ただ、力は必要である。世の中は実際不平等で、力によってできることというのは増えるのも事実。動物の世界でも、足の不自由になった獣は群れを外れたあとただ生きるために死力を尽くす。それは、人間の世界でも同じである。

 

観念は冷静に自分の成し遂げたいことを見極めている。

それは、人それぞれだし失敗続きで観念が別の方向に向くこともあるかもしれない

ただ、観念の行先で自分にできることがどこまで増えるか

どこまで強くなれるか

 

いつかは死ぬし、人生に意義はないし、もっといえば幸せはたかが脳内麻薬で、人はただの物質で、本質的には何の意味も持たないという虚無主義の中で、あらゆる他者、あらゆるモノは全くの無価値であるとしたさらにそのうえで、自分自身で価値を創造する。すると、その価値は他の人と比べることで得られる相対的なものでなくて自分自身が思うように決めた絶対的なものになる。

そしてその絶対的な価値観は、わたしたちの観念(潜在意識)を反映している。その価値観に沿い行動することが、できることを増やし力を得るということでもある。

 

 

そういうものだと私は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生と過程

前回最後のほうに書いたのが

幸せ=脳内麻薬で、それは生存に有利な時に出るということでした

 

じゃあ生存に有利な時って何だろうかってなるけども

 

達成感を感じられればどんなものでも、幸せを感じられると言える

それは、時代とともに生存に有利なものは変わっていくのが理由だ

 

でも得られる幸せの程度って人によって違ったりする

 

例えば趣味って人それぞれだったりする。本を読むと楽しいってひともいれば、楽しくないって人もいる。

電車に乗るのが楽しくて仕方ないって人や、電車の写真を撮るのが楽しいって人もいる。

もっと言えば、急に100万円ポンってもらえたら俺らはめちゃくちゃうれしいよね。

でも、おかしくない?お金ってよくよく考えたらただの紙だし、仮に自分がお金を知らなかったらもらってもうれしくない。

 

この差を生んでいるのが、観念というもの

観念は簡単に言えばものの見方ってこと、価値観ともいえるかな

これが私たちの幸せをある程度定義して左右してる。

同じ状況でも、観念の違いによっては心地よく感じるか嫌な思いするかが違う。

観念をつくる要因はたくさんある。それは、他者からの影響が強い。他者の集合ともとれる社会も含まれる。常識というものもその一つだろう。

加えて、遺伝も要因の一つにある。生来の頭の良さや性格の違いがある

 

観念というものは、潜在意識と強いかかわりがある。潜在意識は、無意識ともいえて

行動の細部に表れ、人の行動や言動がその人らしくなるというのも潜在意識の影響である。

潜在意識は、自分の行動と思考を変えていくことで徐々に変わっていく。潜在意識は、変化でなく安定を求める性質があるため、変化には一か月ぐらい時間がかかる。

 

冒頭で、人間が生きることに意義はないと書いて、確かにその通りではあるけども

目的はある。それは動物としての目的「種の保存」そして、人間としての目的「幸せの追求」である。

 

だが人間は頭がよくなりすぎたがために、本能に従っていれば幸せになれるわけではなくなった。他の幸せを得る方法を無限に生み出せるようになったからだ。そのうえ、身の危険がほぼなくなったこともある。結果、潜在意識も書き変わって、衣食住だけでは幸せと感じられないことも増えた。

 

だから人間には人間的な目的が必要になってくる。それがあらゆる意味での幸せの追求である。そして、幸せの追求とはそれぞれの観念の中で幸せだと思うこと(観念次第であらゆるものに幸せの可能性がある)をしていくということだ。幸せを追い求めることこそが人生の目的だ。

人生楽しんだもの勝ちっていうのは正解だったりする。

大事なのは幸せは、相対的なものでなく絶対的なものであるということ。これは、自分の幸せと他人の幸せの違いは絶対にわからないということ。

この一点は、現実の不平等に対抗しうるところに思える。

 

現実では不平等が確かに存在する。それで不快な思いをすることもある。

しかし、幸せは相対的なものではないので優れたものがより幸せかどうかというのは

わからないし、自分には全く関係のないことである。なにが幸せかは観念が決める。

東京で買う水と、砂漠の真ん中で買う水では幸福度が全然違う。

豊かな環境と厳しい環境でも、幸せは絶対的なものであるからどちらがよりよいともいえない。

自分で作りあげた本棚と買ってきたよりきれいな本棚

自分が努力して作り上げたものと、そうでないより優れたもののどちらがより良いのかは、これもまたわからない。

他人が恵まれていようと、そうでなかろうと、なんであろうと幸せが絶対的なものである限りその一点の平等性を信じて幸せを追うべきである。

 

ただ、力は必要である。世の中は実際不平等で、力によってできることというのは増えるのも事実。動物の世界でも、足の不自由になった獣は群れを外れたあとただ生きるために死力を尽くす。それは、人間の世界でも同じである。

 

観念は冷静に自分の成し遂げたいことを見極めている。

それは、人それぞれだし失敗続きで観念が別の方向に向くこともあるかもしれない

ただ、観念の行先で自分にできることがどこまで増えるか

どこまで強くなれるか

 

いつかは死ぬし、人生に意義はないし、もっといえば幸せはたかが脳内麻薬で、人はただの物質で、本質的には何の意味も持たないという虚無主義の中で、あらゆる他者、あらゆるモノは全くの無価値であるとしたさらにそのうえで、自分自身で価値を創造する。すると、その価値は他の人と比べることで得られる相対的なものでなくて自分自身が思うように決めた絶対的なものになる。

そしてその絶対的な価値観は、わたしたちの観念(潜在意識)を反映している。その価値観に沿い行動することが、できることを増やし力を得るということでもある。

 

 

そういうものだと私は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の前提

 

まずはじめに思うのが自分はなぜ生きているのか。ってことだ、人生に目的があるのかということだが、これについては目的なんか存在しない。人間一人ひとりに使命なんていう大したものがあるわけがないし、少し考えればわかることだ。

 

じゃあ、生きてる意味がないなら死んでもいいのかって話になる、いつ死んでも結局一緒でしょうってふうに。これは正しいように思えてしまう。実際どうだろうか。

 

とはいえ、多くの人は死なない

なんでかっていうと、動物的な本能がそれを阻止するから

人間っていうのは忘れがちだけど動物であって、その本能は野生のものを持つ

人ってものを考えるときに動物的な観点はかなり有効であるとおもっているし

以降の根拠はほとんどこれに頼っている。

 

ここで大切なのが、人間のは究極的に動物の本能に支配されてるってとこだ

そのどうぶつの本能の根幹を占めるのが、子孫を残したいってとこだとおもう

 

ちょっと話はずれる。これほんとに大前提なんだけど。なぜ動物はすべからく子孫をのこしたい。というよりかは生存競争に勝ちたいと願うのかってことの理由のことだけど

これだけは、ほんんとうにわからないし、これからもわかることはないとおもうってことだ。

だってそうでしょ、動物にしてみれば本能だからとしか言いようがないし

今後にあつかう話も、結局本能だからって一点で説明できちゃうことがおおい

生存競争に勝ってなんのいみがあんのか、そもそも動物がなぜ生まれたのか。さっぱりわからない。これは追及できない。

これを大前提として、すすみたい。このせいで難しい哲学でなく現実をただ見ること

しかここに書いてないと言えてしまうかもしれない。ほんとの前提が解き明かされてないからね

 

大前提がおけたところで、話を戻す

生存競争に勝つのが、動物の目的。これは種としての目的といえる

生存競争には、さまざまな戦略がある、子供を山ほど生んだり、出産のあとに自身が食べられることで子に栄養を与えたり、胎内で育てるか、卵かみたいな

人間は、シンプルに子供を産むってのだね

これが大々的には、動物的な目的になる。もっと言えば女とやるってことになる

人間の本来の性質でみたらオスってのは、多くの女性とやったもん勝ちで

逆に女性は、負担が大きいので優秀な生存競争に有利なオスを見つけて子供を産んだもの勝ち

ってことになるんだけど、現代ではこういう考えはでてこないよね。なんでだろう

 

ここでこの本質的な脳のメカニズムについて少し科学的にいきたいとおもう。

でもその前に文学的なところから

まず言いたいのが、人間を人間たらしめるものってなにかって話

いやもちろん人間の時点で人間だし動物であるからただ他の動物との違いになるとおもうんだけど

理性がある。(強い)ってことがいえるとおもう

 

じゃあ理性ってなに?ってなるとこれは

大脳新皮質が理性!となる

どういうことかっていうと

まずは理性と本能って違う脳の領域をつかってるってこと

んでもって本能は脳幹ってのと大脳辺縁系がつかさどってる

そして配置としては、本能が内側でその外側に理性があるって様子なわけ

で、人って本能に対抗できちゃうんよね、

眠いのをどこまで我慢できますか?とか、ご飯我慢できますか?とかさ

犬に待て!!と言ってよし!!で食べさせたりするけどあれと基本は一緒で

他の動物よりも、本能をおさえるつまり理性が強いってこと

 

これって一見いいことなんだけど、人間って頭が発達しすぎたがゆえに不幸になってるんだよね

理性をてにいれることで、人間は自由をてにしたんよ。本能からの自由を

けどこれって、動物であったら本能にしたがってれば幸せになれたんだけど

頭がよくなったがゆえに、現代ならさらに本能が簡単に満たせるようになったがために

もう本能に身を任せるだけじゃ幸せにはなれなくなってしまったんだ

 

これで話がつながったんだけど

本能にしたがってれば幸せになれたってなに?ってこれが、さっきいってた

なにも考えずにおとこはたくさんおんなは少しとやるって話

あとは、飯食えたらしあわせだったり、気持ちよく眠ったりとか

これを動物的になんも考えずにできたらってことね

 

本能にしたがうだけじゃ幸せになれないってなに?ってこれは

頭がよくなりすぎたんだよね、文明をつくってさまざまなことをかんがえることができるようになったから

 

ここで幸せについて考える必要があるね、簡単に言うと

しあわせとは脳内麻薬ってこと

人間ってすごく機械的で本質的には、麻薬も食事もゲームもだいたいおなじなんだよね

 

脳内麻薬なんだけど

勉強不足で詳しくは書けないけども

一応例としてはドーパミンセロトニンってのがある。こいつらは幸せホルモンなんてよばれていて

これらがでると幸せになれる。他にもたくさん種類があるとおもうけど

 

じゃあいつこの幸せホルモンでるん?ってなるんだけど

そもそもこのシステムってのは動物的な目的である子孫を残すを第一として、そのためにまず生きるっていうことを可能にするためにある

つまり、種としての生存に有利なとき幸せになれる。って言える

 

これはどういうことかっていうと

本能に近しいところからいえば、飯をたべたとき、やってるときとかになる

で、大事なのが達成感を得たときもそうってことだ

理由は、生存に有利になるから

これによって人は様々なことに対して努力できる

ここには結構な救いがあるとおもう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

使える脳の鍛え方 成功する学習の科学

プロローグ

使える脳の鍛え方という本ではあるが、この本の真価は科学的な学習方法が学べることに他ならない。

いくつもの実験が引き合いに出されて、効果的な学習法の裏付けがなされている。一見難しく抽象的な話があったとしても、その後にある具体的な実験により理解を助けてくれることもある。ほぼ間違いなく学習者が最初に読むべき本の系統の一つであり、科学的な根拠も示されているので、信用しやすい。ほとんどが実験の結果という理由で立証されているので安心だ

まとめ方の方針

まずは、目次を書いて全体のイメージを思い出す

  1. 学びは誤解されている 
  2. 学ぶために思い出す
  3. 練習を組み合わせる
  4. むずかしさを歓迎する
  5. 知っていると錯覚しない
  6. 学び方を越える
  7. 能力を伸ばす
  8. 学びを定着させる

の8章である。

それぞれのキーワードを思い出す

それぞれの章のキーワードを上げたのちに、詳しく書く

  1. 学びは誤解されている

    学習の不変の条件、学びへの誤解、知っているという錯覚、積極的な想起練習  

  2. 学ぶために思い出す

    省察、テスト効果

  3. 練習を組み合わせる

    間隔練習、交互練習、多様練習、判別力をみにつける

  4. むずかしさを歓迎する

    学習の仕組み、符号化、統合、想起、メンタルモデル、望ましい困難、生成学習

  5. 知っていると錯覚しない

    メタ認知、二つの知覚システム、記憶歪曲、メンタルモデル、判断を修正するツール

  6. 学び方を越える

    構造構築、基本原則の抽出 

  7. 能力を伸ばす

    神経の可塑性、計画的な練習の継続、記憶の手がかり

 キーワード解説

学びは誤解されている

学習の不変の条件

学習の不変の条件は、3つある。一つ目が、いつでも使えること。つまり学んだことを確実に記憶しておくということ。二つ目が、人は生涯学んで記憶しなければならないこと。三つ目に、学習とは後天的な技術であり、最も効率の良い学習方法は、だいたい直観に反すること。例えば、単に何度も繰り返しテキストを再読したり、一教科を集中的に学習することは間違いであるということである。

学びへの誤解

学びへの誤解でとりあげられるものとして集中練習がある。一つのことを繰り返し学習することは、短期間での上達には一役買うが、長期的にみるとすぐに忘れてしまう。学習者は、集中練習をしがちである。ここでのネックは、集中練習は、思い出すまでの労力が非常にすくなく済むということである。学習効果は、困難であればあるほど記憶に残る原理が関係している。

知っているという錯覚

再読には効果がないということへのロジックである。短時間になんども再読をしていると、スラスラ読めることで習得したと勘違いしやすい。知らないということがわかっていないという状態に陥ることがあるのだ。自分がなにをしっていて、何をしらないのかこれを再確認するために自身でクイズをしたりテストをすることが大切になる。

積極的な想起練習(テスト)

想起練習とは、フラッシュカードに代表される概念や事実を思い出すことである。これには、二つのメリットがある。一つ目が、自分の知っていることが分かり、弱い分野がわかること(知っている錯覚が起きない)。二つ目は、学んだ内容を思い出すことで、脳が記憶を整理するため、すでに知っていることとのつながりが強化されて、思い出しやすくなること。である。二章でも効果にふれる。

学ぶために思い出す

省察

省察とは、記憶から知識と過去の訓練を引き出し、それを新しい経験と結び付け、次に試す違ったやり方を可視化し頭の中でリハーサルをすることである。省察は、想起練習の一形態である。想起練習と精緻化の組み合わせでもある。学習のうえでは、学んだことを振り返って自問する練習。今の学習に関連して、役立ちそうな他の知識や経験はあるか、習熟度を高めるには、さらにどんなことを学べばいいか。次回にどんな手法をためすかといったことが省察になる。

テスト効果

エビングハウス忘却曲線にみられるように私たちの記憶はすぐに忘却を始めてしまう。重要なのは、忘れるプロセスを止めることだ。想起は、認知心理学の分野ではテスト効果と呼ばれている。もしくは、想起練習効果でもある。テストは、まさしく記憶から知識を呼び出す行為である。学習教材の見直しよりの過去に学んだことを思いだすことのほうが記憶の定着に効果的なのだ。想起は、時間の感覚をあけて行ったほうが最大の効果が得られる。繰り返し想起することで、知識と技術が記憶に深く根付き反射的に呼び出せるものになり、考える前に脳が反応する。

練習を組み合わせる

間隔練習

間隔をあけて練習するメリットは、長期記憶になりやすいことだ。なぜ長期記憶になりやすいのか。カギは統合にある。統合とは、記憶痕跡(学習時に活動したニューロン)を強化し、意味を与え、すでに知っていることと関連付けるプロセスである。これは、時には数日かかることもある。少し忘れてから、思い出そうとすることで、統合がうながされ記憶が強化される。

 交互練習

学習者がやりがちな集中練習よりも効果があるのが交互練習だ。確かに短期てきには集中練習のほうが伸びるが、最終的には交互練習の方が効果があがる。交互練習はどのようなものかというと、二つ以上の科目や技術を交互に学ぶことである。研究結果から分かったことである。二つ以上のものの違いに注意することができ、微妙な違いを符号化できる。

多様練習

この結果はマジでおもしろい、玉入れの実験で90cmからのみ玉入れをした人と、50cmと120cmから玉入れした人では、後者の方が上達するという研究である。これにも統合がかかわってくるようだ。集中練習(90cmの玉入れ)では、脳の単純で貧相な部分で統合が行われるが、後者ではより高度な部分で統合が行われるのである。高度な部分で統合が行われると様々なことに対応でき柔軟になる。様々な角度からの学習が好ましいということだ。

判別力を身に着ける

交互練習や多様練習をすると判別力がつく。複雑なものを見分けようとすると、単純な知識の獲得のみでなく、コンテクストや機能の違いを把握でき包括的な理解に達する。特徴てきな例が、絵をみて画家をあてる実験である。一方のグループは、ひとりひとり集中てきに画家をみてから判別のテストをしたが、もう一方のグループはランダムに絵を見て画家を学習した。効果があったのは後者であった。

むずかしさを歓迎する

学習のしくみ
符号化

始めにされるのが、符号化である。符号化は、脳内で感知したものに心的イメージを作ることである。そしてその新しいイメージを記憶痕跡という。短期記憶の状態でもある

統合

たびたび出てくるこの統合は、実は符号化によって生まれた心的イメージを長期記憶にするプロセスである。始めのうちの記憶痕跡は、不安定で変化しやすいので記憶痕跡を安定させるために再編する。過去に学んだ知識と関連付けたり、足りないところを補ったり、学んだことを再現することによってである。また、間隔練習などで学んだことを思い出すと、再統合という解釈の補強や過去に学んだ知識とのつながりの強化が行われ、長期記憶によりしっかりと刻み込まれる。想起練習は、こうして学んだことの修正、強化に最適である。

想起

これは、符号化、統合により短期記憶から長期記憶に移し替えたあとに行われる。想起とは、長期記憶とは別で思い出すために行われる。つまり、長期記憶にするだけでは十分でないということである。そのためには、知識を応用すること、思い出す手がかりを作り出すことが大切である。

メンタルモデル

メンタルモデルは、十分な練習によって相互に関連する考えや運動技術がまとまることであらゆる状況に対応することができるようになることだ。複雑に一体化した脳内アプリといえる。

望ましい困難

努力が加わった学習では、より高次の思考をおこなうことになるので理解と学習が向上する。例えば、文字がぼやけていたり読みずらいフォントがつかわれていたりでも効果がある。学習するためには、覚えたいことを逆に一度忘れることがカギになってくる。思い出すことに労力をかければかけるほど、記憶に残りやすいためである。

生成学習

この努力の具体的な内容の一つがこれである。生成とは、答えをはじめから知らされるのではなく、創意工夫を凝らして質問や問題にこたえようとすることだ。これが程よい困難になり高位の思考を行うことにつながる。主題を自分のことばで置き換えたり、次に試したいことを頭の中でイメージすることもこれにあたる。

知っていると錯覚しない

メタ認知

メタ認知は、自分の思考を監視することである。この能力を鍛えれば、つぎにどうしたらいいかが正確にわかる。自己分析がすすむ。しかし、多くの人が陥りがちな罠もおおくある。

二つの知覚システム

システム1は、自動システムであり、無意識的、直観的である。システム2は、制御システムで、意識的、論理的である。システム1は自動的で影響力がつよく、長年の経験に基づくものなので脅威てきな条件反射が期待でき、強力である。しかし、感情の影響を強く受け、錯覚にも陥りやすい。システム1を鍛えるのにもシステム2をつかう。システム2を繰り返すことで、システム1を修正するのだ。これらは、相互に作用することでより能力の向上が見込める。状況を素早く判断する直観的システムと疑問を抱いて慎重に分析する論理的システムが常に対立することになる。

記憶歪曲

人は筋を通すためにしばしば事実を歪曲してしまう。原因は物事すべてを正確に記憶することができないために感情に訴える要素のみおぼえ、残りは推測やコンテクストの中で埋め合わせる。要するに、人の記憶はあてにならないことも多いということである。

メンタルモデル

さまざまな状況のなかでほとんど意識することなく認知と行動ができるように行動の手順をまとめることである。この、メンタルモデルのせいで新しい状況であっても、既存のメンタルモデルに当てはめて行動してしますこともあるので注意が必要である。

 

 判断を修正するツール

本当に重要なことは、知っていることと知っていると思っていることを検証することだ。具体的には、テストと想起練習を細かくすることだ。重要な概念を自分の言葉で説明したり、クイズを実施することでだ。

 

 学び方を越える

構造構築

構造構築は、新しいことを学ぶ際にそれらの概念から、一貫的な精神的枠組みを作ることである。主要概念を適切に理解し、既存の知識に加えるか、より大きな構造としてとらえるか、わきによけるかを判断しなければならない。カテゴライズしてそれぞれのメンタルモデルを上手に形成する技術ともいえそうだ。

基本原則の抽出

自分の考えや必要な能力を細かい構成要素にわけてかんがえるために、主要な概念はなにか、規則は何かをしっかりと考える。規則を抽出し、その規則と類似したものをあつめた構造、すなわち大きな枠組みにとらえ組み合わせたものがメンタルモデルである。まさしく、基本原則からメンタルモデルを作るである。

能力を伸ばす

神経の可塑性

ひらたくいえば、可塑性とは変化するということである。私たちの知能の処理速度は神経のつながりの強さで決まるが、その強さは初期では遺伝に左右されるがそれは変化と成長を続ける。神経のつながりが成熟すると軸索(ほかの神経細胞とつながるもの)と髄鞘(軸索をつつむまとまり)が大きくなることが分かっている。脳の後部から前頭葉に達するまで成長する。この髄鞘が厚くなるほど能力も上昇していく。

計画的な練習

計画的な練習をおこなうことで、だれでも専門家になれる可能性がある。しかしながら、強化される髄鞘は専門的な分野のみでそのほかの分野には影響しない。ピアニストの髄鞘ではあくまでもピアニスト特有の効力しかもたないのである。複雑なメンタルモデルはそのほかには影響しづらいのだ。

番外編

精緻化

精緻化とは、新しい素材に新しい意味付けや解釈をみつけるプロセスである。つまり、新しく学んだことを自分自身の言葉で置き換えすでに知っていることと関連付けて意味を与える作業である。いま知っていることと新しく学んだことを紐づけて思い出すきっかけにするのだ。たとえば、熱伝導の原理を学ぶときはほっとココアをのむときに手が温まることを思いだすなどだ。自身の言葉というすでに知っているものをつかうから効果が出る。

学習方法

具体的な学習方法には、想起練習、精緻化、省察が使いやすそうである。

想起練習は、学習しながら重要な概念はなにか、初めて見る用語はなにか、それらをどう定義するか、すでに学んでいることとの関係はなにかを考え、思い出すことを中心に持ってくることで

精緻化は、まなんだことを実生活と結び付けたり、自身の言葉で説明できるようにすること

省察は、学んだことを振り返り何ができたか、次はどうしたらもっとうまくできるか、過去の知識で役立ちそうなことはあるか、つぎはなにを学べばいいかを数分間振り返る時間を作る、ことで利用できそうだ。

 

 エピローグ

では、最終的なまとめに入りたい。

まず学習の大原則は、

  • 学習に困難があればあるほど記憶に定着しやすい
  • 獲得した知識を結びつけアウトプットしやすくする
  • 学習者の努力次第で能力は上がり続ける

である。

本書にでてくるものの多くにこの原則がある。

全体像としての主要な学習の流れは

符号化(短期記憶)→統合(長期記憶)→想起(アウトプット)

になる。

再統合もあるので基本的にはこのサイクルを何度もくりかえして記憶を強化していく

そのための最たる手法として挙げられるのが、想起練習だ。

その効果をより最大限引き出すために、間隔練習、生成練習、交互練習、多様練習がある。

だいたい前者2つは困難を高めて効果を高めること、後者の2つは判別力をつけ新しい記憶の結び付きをつくることどちらもメンタルモデルの形成を期待するものだ。

くわえて精緻化という既存の知識に結びつける方法やさらに省察という想起練習と精緻化と生成の組み合わせもあり重要だ。

このメンタルモデルは重要な概念で、再統合によってなされる目標ともいえる。

メンタルモデルは、相互に関連する一連の動作や考えを、ひとつにまとめて自動的に判断や行動できるようにした知識である。

忘れかけた記憶を思い出すことで再統合がおき、別の経験や知識と結びついた状態こそがこれである。

また、こうした専門的な学習が進むと、髄鞘が厚くなることも分かっている。

この髄鞘が厚くなればなるほど、才能は関係なく能力は向上し続ける。

最後にまとめとしては、過去に学んだことを想起したり精緻化したりして立ち返り、新しく得た知識と関連づけることを繰り返し、再統合を進めていつでも使えるメンタルモデルを形成し、最終的に髄鞘を厚くすることが学習の真髄と言える。

 

 

 

 

 

 

 

なんのために生きているのか

プロローグ

なんのために生きているのかはだれしも考えたことがあると思います。

もちろん人間が生きる意義などありません。

何のために生きているのか

と問われれば

生きるため

以外にこたえようがありません。

生態系に組みこまれた動物としての人間

人間は、動物です。

犬が何のために生きているか

アリが何のために生きているか

それをあれこれ考えるのは、無駄です。

答えは、生きるためです

じゃあ、なぜ生きなくちゃいけないか

といわれれば、遺伝子的にそうプログラムされているからとなります。

じゃあ誰がプログラムしたんだとなり

そもそもなぜ生き物が生まれたのかという話になってくる。

そんなのは、誰にもわかりません。

身も蓋もない話ではありますが、まず前提に置きたいのは

人間は遺伝子的にプログラムされて生きることが目的であるということです。

 

 

 

 

 

 

私の空想哲学

プロローグ

私は、負け気質で人より優れたところもなく趣味もないつまらない人間です。

それは、今も全く変わっていません。

そして、変わらなければいけないという思いがあるのにも関わらず

人生の中のかわらないものがなんとか変わらないか

なんとか平等にならないかとただ考えつづける間に

世の中が理不尽であるという現実だけが重なってしまって

行動することもなく時間を無駄にしてきました。

 

そんななかでもひたすら空想の中で人生の意義やら夢やら生き方を考え続けてきました

その一点。くだらない人生の空想哲学にだけ時間をかけ練り上げてきました。

何を書くのか

このブログでは、そんな私の空想哲学を備忘録として書いていきたいと思います。

中身は粗削りで突っ込みどころも多々あると思います

私としては、一種の読み物。小説のようなものと思って読んでいただきたいと考えていますし

私も、自作の小説を読んでもらうかのような恥ずかしさを持って書いています。

自己紹介

現在、大学生です。夢も趣味もなく、消極的な人間です。

まだまだ青二才で、哲学もへったくれもないじゃん

と思われるのはごもっともですね。

 

おわりに

なんたらかんたら云々書いてみました。

考えていることを言葉にすることによって

効果的なアウトプットができたらいいなと思います。