最強ロードマップ

最強になるまでやること

 

1、プリズナートレーニング  筋肉をつける

2、無とストレス対策100    強靭なメンタルをつくる

3、「柔軟性」        姿勢のよさが必要

4、「コミュニケーション能力」当然いる。まずはダイゴのを見る

5、ダイエット        有酸素運動のベースをつくる。

6、それらを支える習慣術   ダイゴの動画を見る。

習慣化の能力も必要

 

今の現状

いま最も自分の中で問題なのが、コミュニケーション能力である。そもそもの幸福度がコミュにケーション能力のなさでかなり失われているようにかんじる。人と話すときもうわべを取りつくろった話しかできないし、そもそも人と話そうという気持ちにならないので、遊びに行ったりする経験が少なすぎる、人間的につまらない状態になっている。努力もほとんどしたことがないので子供部屋おじさん化している。この年になれば大人びたやつらもいるはずだが、子供から抜け出せる気がしていない。今は。その原因の一つがおそらく幼少期から太っていたことと、adhdによる努力ができない体質が大きい。少額性までは、人前にでたり、中央委員会をしたりしていたが、サッカーを少額5年生ごろに始め、運動神経のなさから迷惑ばかりかけて試合で泣くことがしょっちゅうだった、あまりにもなきすぎるので、もうかえれと監督に切れられたこともある。まけずぎらいな一面もあったからだろうか。少額性のときは、すでにぷっくり太っていて足はとんでもなく遅かった。人前に出ることと勉強はできたけどそれは親がやれというからやっていたにすぎないといま思う。親が気分屋な一面もあったし、なんでもやってみろというので親が喜ぶとおもってやっていた。というのは、今思えば本当だろうか。むしろ挑戦する機会をくれたことに感謝するべきなのかもしれない。小学生ながらそれなりに楽しんでやっていた部分はある。人をまとめることが得意だとおもっていて、何かのリーダーにまとめていたら勝ってになっていたのが嬉しかった。また、射的で自分で作った新聞紙を丸めてティッシュの玉をとばすアイディアが採用されたこともあった気がする。わりとそのときからアイディアをだすのが得意というイメージは自分にある。んが、親の話を聞いてそのとおりにしてしまうクセがあるのも確かである。くそだせえ。理由は、自分の自信のなさと自分で責任を取りたくないからである。正直いっておれは自分に自信がない。かなり。それもそのはずである。周りとおなじことができない。だれにも必要とされない、周りと違うので悪い意味でね。自分の判断があってもそれが普通の判断だと確信できない。自信のなさの由来のひとつは、子供のころから基本的に友達はいなかったことにある。本当に一人だったわけではないけれども、小学生のころからそういえばしゃべらなかった。外でワーワー遊ぶこともすくなかったし一時期グラウンドで野球やらサッカーやらしたけどももちまえの運動神経でさっぱり活躍できず諦めぐせがついたのもこのあたりか。とにかく運動できずに太っていて、人としゃべることが少なかった俺は小学生のころからマイナスしかなかった。あたまだけはまだ良いほうだった。なぜ小学生から友達がすくなかったのか?もともとコミュ力がないのか不安になりやすいタイプなのか?おそらく飛んでもなく暗い人間だったのかもしれない。中学生になり、すっかり現実を知ったおれは、人前にでることをやめた。理由は、思春期になり不細工すぎたことと、やっぱりサッカー部では最弱で太っていて自尊心をやられつづけたことと、もっと頭の良いやつらがたくさんいることに気づいたからである。中学1年生のことはまだよかったが、2年あたりから顔が気になり始める。顎が長く目が小さく細いのがとんでもなくコンプレックスで中学3年のころはもう勉強が手につかないくらいである。具体的には、夜な夜な顔のパーツの長さを定規ではかっては、平均とくらべたり、顎をおして縮まないか毎日やっていた。このあたりから人生について悩みだして、リストカットもした。あとは、針を腕に指しながら勉強するというわけわからないこともしていた。結論からいうと何の意味もなかった。顔は変わらず不細工のままだ。痩せてもこれはあまり変わらないだろう。ちょっと愚痴らせてもらえばうちの母と弟は顔が良い。普通より上で間違いない。そういうやつらは勝手にともだちができるし自信がある。そんなんを近くで見せられるとますますいやになる。かおは変わらないのに周りからは遊んだほうがいいよとか彼女できたよとかばっかりになる。いまとなっては付き合ったことないというと驚かれるくらいだし、女は不細工でも彼氏がいて学生生活を楽しんでいてそれを自慢げにはなす。この世は地獄か。。方や俺は、誰ともかかわりを持たないし、もちろん何の価値もないので誰も気にかけない。当たり前だ。もう22歳になった。テレビにでる大人びたかっこいいアイドル達よりも年をとった、なんにもしていないのに。いまの高校生ですら大人びて見える。中身がないと感じる。価値がないと感じる。実際価値がない。運動は相変わらずからっきしで、部活はサッカーをやめようかとおもったが友達?今となっってはよくわからないが小学生のころのサッカー仲間が入るというので入った。下手すぎて先輩に怒られ舌打ちして切れられたり(あたりまえ)、先生にさぼりがばれて帰っていいよといわれ本当に帰って泣きながら誤ったこともある。ダサすぎる。部活をさぼりまくって、結局、おまえにはサッカーではなくて、勉強面などの成績面でサッカー部を支えてくれと言われたのは記憶に残っている。戦力外通告とはこのこと。といっても勉強面でも普通よりちょい上でしかなかった。上には上がいたし案の定努力もできず、親にもなんも努力せず高校を受かったといわれるが割とその通りかもしれない。高校生になった。自分の自尊心は最低値を更新しつづけていた。高校はわりと平和なところで、帰宅部になって無意味な3年を過ごした。女となかよくすることもなく、学校はともかくプライベートでがっつり遊ぶほどの仲いい友達もできない(自分がつまらないから当たり前)ぼっち隠しの友達とでも言ったらいいのかもしれない。結局ほとんど中学の友達が多かった。知り合いレベルではそれなりにいた。でもやっぱり高校を終わってみれば関係が続くのはほんの2,3人だtった。普通にインキャです。高校では、人生の意味について考えまくっていた。高校は、自分が発達障害あdhdであることに気づいて絶望しまくっていた。診断してないので確定ではないけど、他の人とは頭が違う気がする。学年で一人宿題をやらずくそ起こられたり、履修登録わすれたりする。普通でないだけでこんなやつ下には結構いるのかもしれない。高校三年間考え抜いた結果としては、当時の人生論としては、顔が不細工なのは変えられないし、人間はもともと動物であるから見た面のいいつまり健康的と判断できる顔を好きになるのは当たり前で、動物的に劣っていることはあらゆるめんで良くあることで、つまり負け犬なことは間違いない。が、人間社会にはお金というものがあるので、金さえあれば人間の三大欲求は満たせるので、金を稼ぐしかない。また人間の幸福度は相対的でなく、絶対的なので人の幸せがどのくらいかは測れないので、主観で感じる自分の幸せがすべてであるという考えだった。このように書くと今もこの考えは変わっていないし、間違ってないので自分の根底にはこの考えがある。そして高校の受験勉強も全然がんばれなかったが、センター試験で4択で絶妙に良い点をとってしまって、国公立に挑戦するも失敗して滑り止めのfらん大学に行った。県外は金がなく出られず、学費も近くの私立なら払ってもらえるはずが、親の収入が減り自分ですべて学費を支払うことになった。よくよく考えれば詐欺だし、俺は親からもなめられていてfらんに行くことになり期待されていなかったのだと思う。さっぱり人との関わりをしらなかった俺は、大学に行きバイトをせざるを得なくなる。給料はほとんど学費にもってかれて、働いた。とはいえそんなに多くはないが、よわっちいおれはすぐ疲れて、ストレスに負けまくりバイトを始めて全身が痒くなったり、16キロ痩せたりした。結果としてボッチを極めてバイトごときで消費して、筋肉が落ちきり、体重はへったが脂肪のみがのこり、人間的魅力が全くないやつが出来上がった。